今回この神社参拝は全く予備知識なしで御参りさせていただ
きました。
が、そののぼり旗や御神幕をみてびっくり。御神紋が「稲荷
紋」に加えて轡紋(丸に十の字)の島津家の御家紋がありま
す。
鹿児島と関係なさそうなこの筑後の地でみる轡(丸に十の字)
の御家紋。その理由をさっそく宮司さんに聞いてみました。

『以前ご当地を治めていた筑後有馬家に島津家九代藩主「島津
斉宣」子女「晴姫」(のちの晴雲院)が嫁ぎ正室となった。
「晴姫」は信心深く、ことにこの稲荷大神様を特段に信仰し
た。後に先代藩主の異母兄でその養子となった「頼咸」が高良
山に住居をかまえるに至ってお上より特別に頂戴した神紋であ
ります』とのことでした。

 なるほどとこの島津家との御縁と戦国時代以来の両家の友好
的関係を考え、一時は納得しまし

 ただ不思議に思ったのはこの御神紋の轡紋をお上から頂戴し
た藩主「頼咸」の性格と素性であります。

 「頼咸」は藩政を顧みずに遊興にふけるようなよくない藩主
であり、のちに家臣と藩の主導権をめぐって対立することとな
る。そのうえ、先代は異母兄でありあまり仲がよくなかったよ
うです。その先代の正室である「晴姫」は母とは言え異母兄の
妻であり元は義理の兄弟。しかもあまり仲良くない兄の妻であ
るわけです。
そのような義理の母の為にその生家の家紋をわざわざ大枚をは
たいてお上から頂くとは考えずらい。

また、左の御神影。本来、神道にはない偶像崇拝の証がみられ
ます。

       そこで、私の大胆な仮説ですが。。。

 有馬氏の本家といえば肥前有馬氏。有馬氏といえば言わずと知れた『キリシタン大名』
つまりはこの轡紋(丸に十の字)は島津家のそれと違い。。江戸時代当時ご禁制であった「キリ
シタン」としての信仰を誤魔化す為の。。

クルス説キリスト教のカムフラージュ説


 表面上は義母の崇敬した神様の御神紋をお上から頂戴する親孝行な義理の息子であるがこの仮
説が本当であればです。親孝行のふりをしてこのクロス紋を譲受け、島津家の御由緒がありま
す。としたのでは。。。


   そうであれば上記の御神影は 「イエスキリスト」(?)

   しっかり『クルス』の紋が御神幕にあります。


 こんな仮説が思い浮かぶのもこの「高良山」自体が神秘的で謎の多いことがあるからでしょう
か?九州の七不思議ですな。。