命婦社



 稲荷大神の神令使(お使い)である白狐の霊を、お祀りしている御社である。

光格天皇天明8年(1788)京都御所が火災となり、その火が花山院邸に燃え移った時、白衣の一団が突如現れて、すばやく屋根に登り敢然と消火にあたり、その業火も忽ち鎮火した。

この事に花山院公は大変喜ばれ、厚くお礼を述べられこの白衣の一団に尋ねられた。
「どこの者か?」答えて言うには、「肥前の国鹿島の祐徳稲荷神社にご奉仕する者でございます。花山院邸の危難を知り、急ぎ駆けつけお手伝い申し上げた だけでございます。」公はいぶかしんでさらに尋ねられた。「私の屋敷などどうでもよい。どうして御所に行かないのか?(御所の火を消さないのか。)」一同が恐縮して答えるには、「私達は身分が賤しく宮中に上がることは出来ません。」とそう言い終るや否や、跡形もなく消え去った。
 花山院内大臣はこれは不思議なことだ、奇蹟だと内々に光格天皇に言上されると、天皇は命婦の官位を授ける様勅を下され、花山院内大臣自ら御前において【命婦】の二字を書いて下賜されたといわれる。
※尚、この掛物は現在祐徳博物館にて所蔵。

その後石壁山山中に社殿を造り、命婦大神として御奉祀され、現在に至っている。

※現在の命婦社の社殿は江戸時代(享和4年)から昭和8年までの御本殿でその後この土地に移築されたものであり彫刻が素晴らしく江戸時代の神社建築の特徴を残している。現在、佐賀県より重要文化財の指定を受けている。


祐徳稲荷神社御由緒より



 全国の大きな稲荷神社でも命婦社と呼ばれる御社があるところが多く、伏見稲荷大社では本殿脇、境内東に命婦社が2社(「上命婦社」とその南に「下命婦社」)と奥社奉拝所も命婦社です。御祭神はこちらも「白狐の御霊」であり、本殿御祭神のいわゆる『稲荷五社大明神』の御眷 属であります。大社ではこれとは別に本殿右には「白狐社」があり、御祭神は命婦専女神(みょうぶどうのめがみ)ですから、命婦社でよさそうですがこちらは命婦社とはいわないようです。そして気になるのは、なぜかその案内板には、白狐霊をまつる唯一の社殿 と書いてあります。(その社名御由緒は不明)
 津和野にある日本稲荷五社のひとつ「太鼓谷稲成神社」でも元宮の脇に命婦社があります。

 命婦の名称の根本はこの祐徳稲荷の上記故事に由来しているようです。以前からこの御神名は使われていたのかもしれませんが、その後お上から御神名をいただく契機になったのではないかと思います。

 ここで、本来の意味での命婦について少し書きたいと思います。