御本殿までの階段です。思ったより急です。もう少しで御本殿です。

 階段を上がると御本殿です。これまたきらびやかです。撮影時、天気が良かったので強い光が差し込んでご覧お通りさらに眩いばかりの御本殿です。細かいところまですばらしい細工が施されておりその美しさに感動です。各部に御神紋「茗荷紋」(肥前 鍋島家家紋)が見られます。

 左上「天祐神徳」(てんゆうしんとく)と書かれた扁額。右上、御本殿内部映像。
 左下は御本殿側面。細かいところにもご覧のような細工。右下は上舞台から御拝殿から神楽殿を見たところです。結構高さがあるのがお分かりになるでしょう。最下段は横から。




  





 祐徳稲荷神社を創建された、鹿島藩主鍋島直朝公夫人萬子媛(御神名萬媛命)をお祀してあります。
萬子媛は後陽成天皇の曾孫女で、左大臣花山院定好公の娘でありますが、寛文2年直朝公にお輿入れになりました。その折、父君の花山院定好公より朝廷の勅願所でありました稲荷大神の神霊を、神鏡に奉遷して萬子媛に授けられ「身を以ってこの神霊に仕へ宝祚(皇位)の無窮と邦家(国家)の安泰をお祈りするように」と諭されました。萬子媛は直朝公に入嫁されてより、内助の功良く直朝公を助けられ、二人のお子様をもうけられましたが、不幸にしてお二人共早世されたのを機に、貞享4年62歳の時此の地に祐徳院を創立し、自ら神仏に仕えられました。以後熱心なご奉仕を続けられ、齢80歳になられた宝永2年、石壁山山腹のこの場所に巌を穿ち寿蔵を築かせ、同年四月工事が完成するやここに安座して、断食の行を積みつつ邦家の安泰を祈願して入定(命を全うすること)されました。萬子媛ご入定の後も、その徳を慕って参拝する人が絶えなかったと云われております。諡を祐徳院殿瑞顔実麟大姉と申しましたが、明治4年神仏分離令に添ってご神号を萬媛命と称されました。

祐徳稲荷神社御由緒より
 
 御由緒ともなっている萬子媛を御祀りした御社です。御本殿を山手に進むとすぐのところにありますが御本殿のきらびやかさとはまったく異空間であります。萬子媛が厳しい修行を行われた極めて厳格な空間でもあります。
そして、ここからが「稲荷のお山」の始まりでもあります。